Later is better than never

sue's daily something

月曜日に、長年学会のwebページなどを管理・更新してくれていた研究者の訃報が入った。まだ若く、本当に残念な知らせだった。闘病中であることは個人的に以前から聞いていたし、学会内でも知られていることではあったが、僕自身は直接の面識がないため、直接にご連絡したりというようなことは最後までしないままになってしまった。

うちの学会は(きちんと比較したわけではないけど)どうもネット関係に弱いところがあり、彼のような人は本当に貴重だったし、間接的にはものすごくお世話になっていたと思う。何らかの形でお礼を言うべきであったと、後悔する気持ちが湧いてくるが、今さらどうにもならないことではある。

職場の知人が、闘病ブログ的なものがあったことを教えてくれたので、これも今更ながらに、しかし故人の遺した言葉を読んでみたいと思って読み返してみた。けっこう身の回りの出来事を細かに記していて、どこか子規の「病床六尺」のような味わいもある。…というのは、年末のドラマの見過ぎかもしれないが。もしも面識があったら、色々聞いてみたい話もあったなと思った。

この闘病ブログの中に、お見舞いメールがたくさん来て大変、というようなことを書いてる日があった。この手のメールは、もちろん見舞う気持ちで書いているものだろうし、多くは面識のある人からだろうから、大変とは言っても意味があるだろうとは思う。…が、これを読んで、少なくともメールの形で無理やり気持ちを伝えるようなことはしなくてよかったと思った。

誰だかよく分からないような人から「お世話になりました」などと言われても、本人はちょっと困るだろう。それでいて書いた方は何だか満足した気になってしまう。そういうやりとりが病人のためになっているのかは、甚だ疑わしい。こういう距離感の人との別れに際して、さりげなく感謝を伝える良い方法が何かないものだろか。